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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2985号 判決

主文

一  反訴原告に対し、反訴被告和田信裕は金一五〇万円、同竹井治子及び同佐藤久栄は各金一一二万五〇〇〇円、同浅川喜裕及び同浅川裕三は各金三七万五〇〇〇円並びに右各金員に対する昭和五二年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を反訴被告らの、その余を反訴原告の負担とする。

四  この判決は反訴原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

理由

第一  請求

反訴原告(以下「原告」という。)に対し、反訴被告(以下「被告」という。)和田信裕は金三四〇万円、同竹井治子及び同佐藤久栄は各金二五五万円、同浅川喜裕及び同浅川裕三は各金八五万円並びに右各金員に対する昭和五二年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が亡和田喜治(以下「喜治」という。)との間で締結した委任契約に基づいて行つた委任事務の処理につき、喜治の相続人である被告らに対して報酬金を請求した事件である。

二  委任契約の締結等

1  喜治は、品川区内で和田外科病院(以下「和田病院」という。)を経営していたが、昭和四七年ころからは、同人の子浅川章子が右病院の経営を、その夫である医師浅川裕公が診療を行つていた(争いがない。)。原告は、東京弁護士会所属の弁護士であり、その他に公認会計士、不動産鑑定士及び税理士の資格をも有する者であるが、昭和四二年ころから、和田病院の近隣に居住し、義理の父である乙山松夫や娘が浅川裕公の治療を受けたことがあつた。和田病院では、同年ころ病院の増築工事をした際、工事代金の支払をめぐつてトラブルが発生し、昭和四七年ころからは、経営コンサルタントと称する松田周一郎(以下「松田」という。)に病院の経理及び資金繰り等の事務処理を委任していた。しかし、昭和四九年六月ころまでに、東京中央信用組合、大丸物産及び八雲商事株式会社(以下「八雲商事」という。)等からの借入金がかさみ、資金繰りが困難な状況となつた。原告は、同月ころから和田病院の再建に協力するよう浅川章子や浅川裕公から懇請されて、同年八月二九日にこれを承諾し、そのころ、喜治との間で、和田病院のために喜治、浅川章子及び浅川裕公(以下この三名をまとめて「喜治ら」という。)が負担した債務の整理等の事務処理を行う旨の委任契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

2  本件契約は、原告の法律、会計及び税務の専門知識を前提として、原告が喜治らの債務について、その金額を確定した上、各債権者との間でその支払方法について和解交渉をなし、金融機関から右各債務の返済資金の調達を図り、個別の民事訴訟、競売事件等が提起されればこれに対処する等、和田病院の再建を図るために必要な法律事務及びこれに付帯する一切の事務処理を行うことを内容としていた。

3  原告は、その後昭和五一年一二月ころまでの間に、(1)大丸物産に対する債務の処理、(2)喜治が所有する絵画の取戻し、(3)武藤誠之輔(以下「武藤」という。)に対する債務及び抵当権の処理、(4)李輝煌(以下「李」という。)に対する債務及び抵当権の処理並びに(5)八雲商事に対する債務及び抵当権の処理等の事務を処理した。しかし、昭和五二年一月ころ、原告と喜治らとの間で、本件契約に基づいて原告が受け取るべき報酬額(以下「本件報酬」という。)や委任事務の処理方法をめぐつて紛争が生じた(争いがない。)。

4  喜治及び浅川裕公は、昭和五二年三月、本件の被告訴訟代理人斉藤一好弁護士(以下「斉藤弁護士」という。)に原告との間の右紛争の処理を依頼し、その後原告と斉藤弁護士とが、本件報酬額等について交渉したが、結局同年五月に物別れに終わつた(争いがない。)。

5  喜治は昭和五六年六月一三日に死亡し、被告らのほか喜治の妻和田艶子が相続人となつたが、艶子も平成元年一一月一〇日死亡したため、喜治の相続財産については、喜治と艶子の養子であり孫である被告和田信裕(喜治と艶子の子浅川章子は昭和五五年七月二七日に死亡したが、章子の子は和田信裕、浅川喜裕、及び浅川裕三である。)、子である同竹井治子及び同佐藤久栄並びに孫である被告浅川喜裕及び同浅川裕三が相続人となり、その相続分は、被告和田信裕が一二分の四、同竹井治子及び同佐藤久栄が各一二分の三、同浅川喜裕及び同浅川裕三が各一二分の一である(争いがない。)。

三  争点

1  原告が本件契約に基づいて処理した委任事務の内容

2  本件契約が終了した経緯

3  本件報酬の発生根拠、特に本件報酬についての合意の存在及び内容

4  本件報酬請求権について消滅時効が完成したか。

5  原告の本件報酬請求権の行使が権利の濫用に当たるか。

6  本件報酬の相当額

第三  争点に対する判断

一  争点1(原告が本件契約に基づいて処理した委任事務の内容)について

1  大丸物産関係

(1) 原告が本件契約を受任した昭和四九年八月末当時、浅川裕公は、和田病院の資金繰りのため、以下のとおり各約束手形及び小切手を振り出しており、それらの所持人は大丸物産の関係者であつたが、支払期日における支払の目処が何ら立つていなかつた。

振出日 支払期日 金額 所持人

<1> 小切手 四九年八月二九日 五〇万円 (名称略)

<2> 約束手形 同年七月一〇日 同年九月三日 一〇〇万円 村田一夫

<3> 約束手形 同年五月三日 同年九月四日 五〇万円 右同

<1>の小切手は同年八月三一日に支払場所である東京信用組合目黒通支店へ呈示され、契約不履行に付き支払を拒絶されたものの、原告は、右各約束手形及び小切手の不渡りによる浅川裕公の銀行取引停止処分を免れるため、喜治らの取引金融機関であつた東京中央信用組合に対して、異議申立提供金を借り入れるべく交渉したが、浅川裕公には信用がなかつたため、原告自身が浅川裕公を連帯保証して二〇〇万円を借り入れ、右各約束手形及び小切手について、異議申立提供金を預託した。その後、浅川裕公は、同年九月一一日、所持人に対して、各約束手形金及び小切手金を弁済した。

(2) 原告は、昭和四九年九月二日、大丸物産から「荏原医師協同組合設楽雄治」の名義で振り出され、第一裏書人欄に浅川裕公、第二裏書人欄に喜治の署名押印がされた額面三九〇万円の約束手形を示され、右手形は浅川章子が振り出した偽造手形であるとして、その額面額に相当する金員の支払を求められた(争いがない。)。原告が事実関係について調査したところ、浅川章子は、同年六月から七月の間に、大丸物産から合計三九〇万円を借り入れ、その際「荏原医師協同組合設楽雄治」名義の右約束手形を偽造し、さらに浅川裕公と喜治の名義で裏書をして大丸物産に交付するとともに、同組合設楽雄治の名義の念書を偽造して交付していたことが判明した。大丸物産は右約束手形及び念書の偽造行為を刑事事件として告訴すると主張していたが、原告は大丸物産と交渉して、債務を三〇〇万円に減額させた上、浅川裕公が二〇〇万円しか用意できなかつたため、原告自身が一〇〇万円を立て替えて弁済した。浅川裕公は、その後原告が立て替えた右一〇〇万円を返済した。

2  絵画の件

原告は、松田及び喜治らから、喜治が所有し、表装復元すれば合計一〇〇〇万円相当の価値がある絵画(谷文晁や野口(名前略)の作)を松田が預かつている旨の説明を受けたので、表装代金を支払つて右絵画を取り戻し、売却して債務の弁済に宛てることにした。原告は、喜治らが表装代金を支払う能力がなかつたので、松田に対し、表装代金として、昭和四九年九月五日に六〇万円、同月一八日に一一〇万円を立て替えて支払い、右絵画を取り戻した。しかし、その後、実際には右絵画はせいぜい時価五万円程度の価値しかなく、売却しても債務の返済には役立たないことが明らかになつたので、原告は、喜治らの承諾を得て、右絵画を知人に与える等して処分した。喜治らは、原告に対し、昭和四九年一一月一二日に李から借り入れた金員(一の4項参照)の中から原告の右立替払金を返済した。

3  武藤関係

(1) 三共融資株式会社(以下「三共融資」という。)は、昭和四九年二月一六日に浅川裕公との間で、同人の従前の金銭消費貸借債務合計三五〇〇万円について、弁済期を同年五月二四日、利息年一割五分、遅延損害金年三割とする準消費貸借契約を締結し、さらに、右債務を担保するため、喜治が所有する別紙第一物件目録一ないし三記載の土地及び建物(以下「本件不動産」という。)に抵当権を設定した(東京法務局品川出張所昭和四九年六月二七日受付第一二七四九号、抵当権設定契約及び同登記の存在については争いがない。)。三共融資は、昭和五〇年三月一三日、右貸金債権及び抵当権を武藤に譲渡し、抵当権移転の付記登記手続及び浅川裕公に対するその旨の通知をした(付記登記の存在及び通知の事実については争いがない。)。

(2) 原告は、昭和五〇年四月、武藤らに面談して同人が所持する浅川裕公振出の約束手形の提示を求め、武藤が三供融資から譲渡を受けた浅川裕公に対する債権について調査した。その結果、三共融資に対して浅川裕公名義で昭和四九年二月六日までに振り出された約束手形は二五枚(額面合計三六五〇万円)であり、そのうち、小浦方註笥が所持していた約束手形(額面一〇〇万円)については、一部弁済されていることが確認されたものの、その他の約束手形については、その額面額に相当する金員の借入れを否定する根拠はなく、原告としては、右準消費貸借契約の原因となる債務が少なくとも三五〇〇万円あることを認めざるをえなかつた。また、三共融資の浅川裕公に対する貸金は、武藤が一〇五〇万円、佐藤浩司(以下「佐藤」という。)が二六〇〇万円を資金提供しており、武藤の主張する浅川裕公に対する債権は、実質的には武藤が一〇五〇万円、佐藤が二四五〇万円(同人が三共融資に資金提供したのは二六〇〇万円であるが、三五〇〇万円の準消費貸借に基づく債権から武藤の債権を除くと二四五〇万円になる。)の割合で譲渡を受けたが、譲渡通知や抵当権移転の付記登記は武藤の単独名義でなされたことが明らかになつた。

(3) 武藤は、昭和五〇年六月一六日、浅川裕公及び浅川章子に対して、両名が武藤から借り受けて売却した本田技研株式会社の株式五〇〇〇株の代金等七八五万円の支払を求める訴えを提起した(当庁昭和五〇年ワ第五〇三七号)が、右株式の借受けを認める趣旨の浅川裕公作成の念書等が存在したため、原告は、浅川裕公及び浅川章子に支払義務があることを認めざるをえなかつた。

(4) 武藤は、昭和五〇年八月二日、三共融資から譲り受けた準消費貸借契約に基づく債権のうち、実質的に自己に帰属する一〇五〇万円を債権額として、前記抵当権に基づいて競売を申し立てた(当庁昭和五〇年ケ第五三九号、争いがない。)。

(5) そこで、原告は、昭和五〇年一〇月三〇日、喜治らの代理人として、武藤と交渉し、同人との間で以下の内容の和解契約を締結した。

ア 喜治らは、武藤に対して消費貸借債務として一〇五〇万円、株式代金債務として二〇〇万円の合計一二五〇万円の支払義務のあることを認める。

イ 喜治らは、港信用金庫又は他の金融機関から借入のうえ、武藤に対して、右同日二五〇万円、前記競売申立てを武藤が取り上げた後、一か月以内に五〇〇万円を支払う。

ウ 喜治らがイのとおり弁済したときは、残債務は出世払いとする。

エ 武藤は、イの金員の支払を受けるのと引換えに、喜治らの要求により、前記抵当権を借入先に譲渡してその付記登記手続をするか、又は抹消登記手続をする。

(6) 右和解契約に基づき、喜治らは、原告を通じて、武藤に対し、右同日二五〇万円、同年一一月末から一二月上旬の間に残金五〇〇万円を支払つた。また、(4)の競売申立ては、昭和五〇年一一月一〇日に取り下げられた。

4  李関係

喜治らは、昭和四九年一一月一二日、李から金八〇〇万円を利息年一割五分、遅延損害金日歩八銭二厘の約定で借り受け、さらに、翌一三日、右債務を担保するため、本件不動産に抵当権を設定した(東京法務局品川出張所昭和四九年一一月一三日受付第二二七〇六号、争いがない。)。

昭和五〇年四月一七日、李の申立てによつて、右貸金債権に基づき和田病院こと浅川裕公の社会保険診療報酬請求権等を仮差押えする旨の決定がなされた(当庁昭和五〇年ヨ第一九九二号)。さらに、李は、同年六月三日、浅川裕公に対して右債務の支払を催告し、昭和五一年七月八日には、本件不動産について抵当権実行のため競売を申し立て、これに基づき同月九日不動産競売手続開始決定がなされ(東京地裁昭和五一年ケ第五一七号)、同年九月一七日付の通知書により、競売期日が同年一〇月二二日と指定された(以上の事実は争いがない。)。

原告は、喜治らの代理人として、同月一二日、李に対して民事調定の申立てをするとともに、同月一六日、保証金として二〇〇万円を供託して競売手続の停止決定(渋谷簡易裁判所昭和五一年サ第一二六五号)を得た(争いがない。)。右保証金二〇〇万円は、喜治らにおいて調達することが不可能であつたため、原告が喜治らと連帯して東京中央信用組合から借り入れて調達し、同年一一月一六日に原告所有(登記簿上の名義人は有限会社乙山ビル)の別紙第二物件目録一記載の土地及び同目録二記載の建物(以下まとめて「原告不動産」という。)に、極度額一〇〇〇万円の根抵当権を設定した(根抵当権設定の事実については争いがない。)。その後、同年一二月二〇日、原告は、後記5のとおり八雲商事に対する債務の返済も合わせて行うため、右根抵当権の極度額を四五〇〇万円に変更の上、喜治らと連帯して東京中央信用組合から四五〇〇万円を借り入れた。喜治らは、李の債権について高利の遅延損害金の発生を阻止するために元金だけでも弁済するべく、同年一二月二八日、右借入金のうち八〇〇万円を李に弁済した。

5  八雲商事関係

喜治は、昭和四七年一一月から昭和四八年六月までの間に、八雲商事から別紙借入金一覧表記載のとおり合計三〇〇〇万円を借り入れた(同表の番号1、6ないし8、10については当事者間に争いがない。)。また、右貸金債務を担保するため、本件不動産に昭和四七年一一月二〇日に抵当権を、昭和四八年一月四日及び昭和四九年三月二七日に根抵当権をそれぞれ設定した。

原告は、昭和五一年一二月二四日、八雲商事との間で、喜治らの代理人兼当事者として、債務の弁済並びに抵当権及び根抵当権の譲渡について以下の内容の和解契約を締結した。

ア 喜治らは八雲商事に対して、連帯して貸金三〇〇〇万円、利息一六万円及び右元金に対する昭和四九年九月一日から支払済まで日歩八銭の割合による遅延損害金(昭和五一年一二月一四日までで二〇二八万円となる。)を支払う義務があることを認める。

イ 原告は、八雲商事に対して、右債務を重畳的に引き受ける。

ウ 原告は、八雲商事に対して、元金三〇〇〇万円を昭和五一年一二月二五日限り、遅延損害金一五〇〇万円を昭和五五年一二月末日限り支払う。八雲商事はその余の損害金の支払を免除する。

エ ウの遅延損害金一五〇〇万円につき、昭和五四年一月一日から年一割の利息、期限後には年二割の割合による遅延損害金を支払う。

オ 八雲商事は原告に対して、ウの元金三〇〇〇万円の支払と引換えに喜治らに対するアの債権並びにこれを担保する抵当権及び根抵当権を譲渡する。

原告は、これに先立ち、本件不動産には李や武藤の抵当権や根抵当権が設定されて担保価値がなく、他に喜治らに資金調達の途がなかつたため、やむをえず前記のとおり東京中央信用組合を根抵当権者として原告不動産に従前設定していた根抵当権の極度額を一〇〇〇万円から四五〇〇万円に変更し、右組合から喜治らと連帯して四五〇〇万円を借り入れた。浅川裕公は、右借入金の中から三〇〇〇万円を右和解条項ウのとおり八雲商事に対して支払つた。

なお、東京中央信用組合からの借入金は、その後浅川裕公が全額返済した。

二  争点2(本件契約が終了した経緯)について

1(1) 原告は、昭和五一年一一月ころ、浅川裕公に対して、本件報酬について以下の内容の書面を交付してこれに署名捺印するように促した。

喜治ら及び和田艶子は、原告に対して、本件報酬として昭和四九年九月以降毎月三〇万円及び毎月の報酬に対する支払済みまで年一八パーセントの割合による利息を支払い、さらに、本件契約の着手金として品川区平塚三丁目六九三番の一四所在の山口サダ名義で登記された土地(所有者は和田艶子)の所有権を移転する(なお、甲二〇の第一項に「昭和四八年八月三一日」と記載されているのは「昭和四九年八月三一日」の、同第三項に「昭和四八年九月一日」と記載されているのは「昭和四九年九月一日」のそれぞれの誤記であると認められる。)。

(2) さらに、原告は、昭和五一年一二月、前記一の4のとおり原告不動産に極度額四五〇〇万円の根抵当権を設定するに当たり、浅川裕公に対して、本件契約に基づく委任事務の処理について、以下の内容を記載した書面を交付してこれに署名捺印するように促した。

ア 武藤に対する喜治らの和解契約上の債務について、浅川裕公は右債務を連帯保証して弁済したが、実質上の債務者は喜治であり、浅川裕公は喜治に対して求償権を取得するとともに、武藤から被担保債権及び抵当権の譲渡を受けたことを確認する。

イ 八雲商事に対する原告及び喜治らの和解契約上の債務について、実質上の債務者は喜治であり、浅川裕公は右債務を連帯保証(原告は債務引受け)したのであり、浅川裕公は弁済することにより、喜治に対して求償権を取得するとともに、八雲商事から被担保債権及び根抵当権の譲渡を受けることを確認する。

ウ 東京中央信用組合から、昭和五一年一二月二〇日、原告及び喜治らが借り入れた四五〇〇万円については、実質上浅川裕公が債務者であり、連帯保証人となつた原告の負担部分はないものとする。原告不動産に設定した根抵当権は、東京中央信用組合の承諾を得て、遅滞なく本件不動産と差し替える。

エ 原告は、イの債務引受けに基づく求償権、またウの連帯保証を履行した場合に将来取得する求償権及び本件報酬債権を担保するため浅川裕公からア及びイの各債権、抵当権及び根抵当権を譲り受ける。

(3) しかし、浅川裕公が、昭和五二年一月一六日、右(1)及び(2)の書面に署名捺印することを拒絶したため、原告は、浅川裕公を非難し、それ以降本件契約に基づく委任事務を処理しなくなつた。そこで、浅川裕公は、同年三月ころ、斉藤弁護士に対して、本件報酬の支払及び委任事務の今後の処理等について原告と交渉をするよう委任し(この事実は争いがない。)、その後斉藤弁護士と原告とは、同年五月一八日まで数回話し合いをした。最終的に、斉藤弁護士は、原告に対して、喜治らが本件報酬として二〇〇万円までは支払うが、原告不動産に設定された根抵当権の抹消登記手続には協力しない旨の申し入れをした。この申入れを不服とした原告は、同月一八日右交渉を打ち切り、同日付けで、浅川裕公から誠意ある回答が得られないので、今後は「容赦なくあらゆる手続をとる。」旨を記載した内容証明郵便を作成し、斉藤弁護士に示した上、浅川裕公に宛てて差し出した。

以上(1)ないし(3)の事実に鑑みれば、本件契約は、同年五月一八日ころ、原告の辞任(解約)によつて終了したと認めるべきである。

2  もつとも、被告らは、同年一月一六日ころ、浅川裕公が原告に対し、絵画の表装代合計一七〇万円の領収書を示すよう要求したところ、原告が立腹し、翌日浅川裕公に電話して、本件契約に基づく委任事務の処理から一切手を引き辞任する旨伝えたことによつて、本件契約が終了した旨主張し、証人浅川裕公の証言中にはこれに沿う部分がある。しかし、一の2で認定したとおり、原告が絵画の表装代を立て替えて支払い、喜治らから返済を受けたのはいずれも約二年前の昭和四九年中のことで、金額も一七〇万円と喜治らの債務額全体からみると少額にすぎないこと、前記のとおり原告は、昭和五一年一二月に、原告不動産に根抵当権を設定し、浅川裕公らと連帯して四五〇〇万円を借り入れており、右根抵当権を本件不動産に差し替えることに重大な関心を持つていたはずであるから、それについて何らの目処もつかないまま本件契約を終了させるとは考え難いことに鑑みると、絵画の表装代金を巡り同年一月中に原告が辞任して本件契約が終了した旨の右証言部分は信用することができない。

3  また、原告は、昭和五二年三月、喜治らが斉藤弁護士に本件報酬の支払及び委任事務の今後の処理等について委任したことにより、原告を解任した旨主張するが、たしかに前記1の(3)のとおり喜治らが昭和五二年三月に斉藤弁護士に原告主張のとおりの事務処理を委任したことは認められるが、この事実をもつて直ちに原告を解任したことにはならず、他に昭和五二年三月に原告が解任されたと認めるに足りる証拠はない。

三  争点3(本件報酬の発生根拠、特に本件報酬についての合意の存在及び内容)について

1  原告は、本件報酬について、昭和四九年八月に原告と喜治との間で、和田病院の再建(すなわち喜治らの債務の整理)ができなかつた場合は無報酬であるが、再建の見込みがついた場合には報酬について協議し、協議が成立しない場合には東京弁護士会の弁護士報酬会規等によつて決定するという合意があつたと主張する。

原告本人尋問中にはこれに沿う供述部分があるところ、第二の二の1及び2の本件契約の締結に至る経緯、一の1のとおり昭和四九年八月当時和田病院の資金繰りが困難であつたこと及び原告が本件契約を締結するに当たり、和田病院の再建はかなり困難であるという見通しをもつていたこと等の事情に鑑みれば、右供述部分により、原告と喜治との間で、昭和四九年八月に本件報酬につき、和田病院の再建ができなかつた場合は無報酬であるが、再建の見込みがついた場合には報酬額について当事者間で協議する旨の合意があつたことは認められるが、当事者間の協議が整わなかつた場合には東京弁護士会の弁護士報酬会規等によつて決定する旨の合意があつた旨の供述部分は信用することができず、他に右の合意を認めるに足りる証拠はない。

2  次に、原告は、昭和五一年一二月までに、和田病院の再建の見込みがついていたと主張する。

一で検討したとおり、原告が昭和五一年一二月まで委任事務を処理した結果、まず大丸物産関係では、約束手形金、小切手金債務及び貸金債務は喜治らの弁済によつて消滅した。次に、武藤関係では、貸金一〇五〇万円と株式売買代金のうち二〇〇万円の合計一二五〇万円の債権は和解契約に基づき喜治らが七五〇万円を弁済することによつて一応消滅し、本件不動産について申し立てられた抵当権の実行の不動産競売手続は取り下げられた。李関係では、本件不動産について同人が申し立てた抵当権実行の不動産競売手続の停止決定を得た上、調定手続中に喜治らが李に対して元金八〇〇万円を弁済した。八雲商事関係では、和解契約を締結した上、これに基づいて貸金元金三〇〇〇万円を弁済した。その結果、本件不動産に設定された抵当権及び根抵当権のうち、実行のため申し立てられたものについては、競売手続停止決定あるいは競売申立ての取下げにより一応実行手続が阻止された状態となり、また、武藤関係で、実質的に佐藤に帰属する二四五〇万円の貸金債務の処理は残つていたが、佐藤から現実に請求は受けておらず、李関係での貸金債権八〇〇万円に対する利息及び遅延損害金債務については、調定手続において支払条件を交渉中であり、いずれも直ちに返済しなければならない状態ではなくなつた。さらに、東京中央信用組合からの借入金四五〇〇万円については、和田病院が診療を継続してその収益の中から返済する目処がついた。したがつて、原告の委任事務の処理によつて、昭和五一年一二月ころまでに、喜治らの債務は整理の目処が立ち、和田病院の再建の見込みがついたと認めるべきである。

3  原告は、昭和五一年一一月初めころ、原告と喜治の代理人である浅川裕公との間で昭和四九年九月以降月額三〇万円を報酬として支払う旨の合意が成立したと主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述部分がある。

しかし、二の1の(1)及び(3)で認定したとおり、喜治らは、昭和五一年一二月下旬ころ、原告主張の合意内容を記載した書面に署名するよう促されたが、これを拒絶したこと及び右合意が成立しなかつた旨の証人浅川裕公の証言に鑑みると、原告の右供述部分は信用することができず、他に右合意を認めるに足りる証拠はない。

5  以上検討したところによれば、本件報酬については、原告と喜治との間で、和田病院の再建の見込みがついた場合には当事者が協議の上相当報酬額を支払う旨の合意があり、昭和五一年一二月ころには和田病院の再建の見込みがついたが、当事者間で本件報酬についての協議が成立しなかつたというべきである。

四  争点4(本件報酬請求権について消滅時効が完成したか。)について

被告らは、本件契約が終了した時期が、昭和五二年一月一七日であることを前提として、本件報酬請求権は、本件契約の終了した時から二年間を経過した昭和五四年一月一七日の経過によつて、時効で消滅したとして、昭和五四年六月八日の本件口頭弁論期日でこれを援用する旨の意思表示をした。

しかし、既に述べたとおり、本件契約が終了したのは、昭和五二年五月一八日ころと解するべきであるから、原告の消滅時効の主張は理由がない。

五  争点5(原告の本件報酬請求権の行使が権利の濫用に当たるか。)について

1  被告らは、原告の本件報酬請求が権利濫用に当たると主張し、これを基礎付ける事実として、原告が本件契約に基づいて委任事務を処理するに当たり、受任者としての注意義務に違反して不当な事務処理を行つたと主張するので、まずこの点について検討する。

(1) 武藤関係

<1> 被告らは、武藤に対する債務の処理について、原告には以下のとおり受任者としての注意義務に違反する点があつたと主張する。

ア 武藤が主張した貸金債権及び浅川裕公が三共融資に対して振り出した約束手形について、原告が行つた調査が不十分であり、喜治らが三共融資の代表取締役である佐藤福蔵に偽造されあるいは騙取された約束手形について、安易に支払義務を認めて和解した。

イ 三共融資の喜治らに対する三五〇〇万円の債権のうち、武藤が譲り受けたのは一〇五〇万円に過ぎず、喜治らが武藤に対して和解契約に基づいて七五〇万円を支払つても、佐藤が譲り受けた残りの二四五〇万円の債権については、実体法上抵当権は消滅しないのに、原告はその旨を十分説明しなかつた。

ウ 原告は、武藤に対して和解契約に基づき七五〇万円を弁済した際、武藤から本件不動産に設定された抵当権の登記の抹消登記手続に必要な書類を受領したにもかかわらず、抹消登記手続を行わなかつたばかりか、武藤から原告名義に右抵当権移転の付記登記手続(東京法務局品川出張所昭和五一年一月八日受付第二二〇号)をした。

<2> そこで、原告の主張する右各点について検討するに、アについては、前記一の3のとおり、当時原告が、本件契約の受任者として、武藤の前記債権の存在及びその金額を認めたのはやむを得なかつたものと認められ(なお、その後、武藤が浅川裕公に対して、右債権の残金二四五〇万円の支払を求めた訴訟(昭和五五年ワ第三七三五号)の第一審判決においても、右債権の存在が認められた。)、また、イについても、浅川裕公は「原告から、七五〇万円を支払うことにより、武藤の債権及び抵当権の問題は全部解決すると聞いた。」旨証言するが、浅川裕公宛てに送達された武藤が申し立てた不動産競売手続の開始決定正本には、同人の浅川裕公に対する請求債権額は一〇五〇万円と記載されていること及び右証言と反対の趣旨の原告本人尋問の結果に照らし、右証言を直ちに信用することはできず、他に原告の説明が不十分であつたことを認めるに足りる証拠はない。

しかし、ウについては、前記一の3の(5)のとおり原告が喜治らの代理人として武藤との間で締結した和解契約では、武藤名義の抵当権の登記は、喜治の武藤に対する七五〇万円の支払と引換えに、喜治の返済資金の借入先に移転の付記登記手続をするか又は抹消登記手続をすることになつていたにもかかわらず、原告は、喜治が七五〇万円を支払つた際、武藤から抵当権の抹消登記手続に必要な書類を受け取り、さらに、喜治らから登記手続費用として七万円を受け取りながら、昭和五一年一月八日、自己名義に抵当権移転の付記登記をした(原告が武藤から抵当権移転の付記登記を受けた事実は争いがない。)。

もつとも、原告は、武藤から原告名義に抵当権移転の付記登記手続をすることについて、浅川裕公の承諾を得ていたと主張し、原告本人尋問の結果中には、これに沿う供述部分がある。しかし、前記のとおり原告に抵当権移転の付記登記手続をすることは和解契約の内容に反する上、前記二の1の(2)及び(3)記載のとおり、右付記登記手続をする旨の契約書案に浅川裕公が署名押印を拒否したことに鑑みると、原告本人の右供述部分は信用することができず、他に浅川裕公の承諾があつたことを認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、自己名義に抵当権移転の付記登記手続をしたのは、浅川裕公が喜治の娘婿であつて喜治の相続人ではないにもかかわらず、武藤や八雲商事に対する和解契約上の債務を負担したことを考慮して、とりあえず原告に抵当権移転の付記登記手続をし、将来浅川裕公に移転の付記登記手続をして同人の利益を図る目的であつた旨主張し、これに沿う原告本人尋問における供述部分がある。しかし、将来の浅川裕公の利益を図るために原告に抵当権移転の付記登記手続をすることは不自然である上、原告が自己名義に抵当権移転の付記登記手続をした動機は、自己の連帯保証債務を弁済した場合に発生する喜治らに対する求償権及び本件報酬の支払を確保する目的があつたことがうかがわれることからすると、原告本人の右供述部分を信用することはできない。

以上の認定事実によれば、原告は、本件契約の受任者として、和解契約に基づいて武藤から本件不動産に設定された抵当権の抹消登記手続に必要な書類を受け取つた際に、直ちに抹消登記手続をすべきだつたのであり、それにもかかわらず自己名義に抵当権移転の付記登記手続をして依頼者である喜治らに対する債権及び抵当権を取得したことは、受任者としての注意義務に違反して委任事務を処理したものといわざるをえない。

(2) 李関係

被告らは、李に対する債務について、喜治らが李に対して、昭和五一年一二月二八日、八〇〇万円を弁済したのに、李から競売申立ての取下げ及び抵当権の抹消登記手続がなされなかつたのは、原告の委任事務の処理に受任者としての注意義務違反があつたからであると主張する。

しかし、李に対する八〇〇万円の弁済は、李の債権のうち利息及び遅延損害金を除いた元本の弁済に過ぎないのであるから、李から競売申立ての取下げ及び抵当権の抹消登記手続がなされなかつたからといつて、直ちに原告の委任事務の処理に受任者として注意義務違反があつたということはできない。(なお、本件契約が終了した後である昭和五二年五月二〇日、斉藤弁護士が喜治らを代理して李との間で調停(渋谷簡易裁判所昭和五一年ノ第一六三号)が成立し、喜治らが既に支払つた八〇〇万円の他に三五〇万円を支払うことにより、李は競売申立てを取り下げ、抵当権設定登記の抹消登記手続をすることになつた。)。

(3) 八雲商事関係

<1> 被告らは、八雲商事に対する債務の処理について、原告には以下のとおり受任者として注意義務に違反する点があつたと主張する。

ア 喜治らの代理人であつた原告が、八雲商事との間で、八雲商事の喜治らに対する債権及びそれを担保するために本件不動産に設定された抵当権・根抵当権(以下「八雲商事の債権と抵当権」という。)を譲り受ける旨の和解契約を締結した。

イ 八雲商事の債権について、喜治らの支払義務を否定できるものがあるかどうかの調査を十分尽くさなかつた。

ウ 八雲商事の債権調査の結果及び和解契約の内容等について、喜治らへの報告・説明が不十分であつた。

<2> そこで、まず、アの点について検討する。原告が被告らの主張する内容の和解契約を締結した事実は前記一の5で認定したとおりであり、たしかに、弁護士が、委任契約の存続中に、委任者に対する債権や担保権を譲り受けることは、これにより委任者と直接利害が対立して忠実な委任事務の処理がなされなくなるおそれがあることを考えれば、弁護士の委任事務の処理として妥当性を欠くことは否めない。

しかし、原告は、八雲商事との間で和解契約を締結するに当たり、喜治らから和解契約書を添付した委任状の交付を受けているのであつて、これに鑑みると喜治らは、アの和解契約の内容を一応承諾していたものと認めるべきであるから、原告が受任者として、注意義務に違反したとまではいうことができない。

イの点については、前記一の5のとおり、原告が八雲商事の債権について喜治らの支払義務を否定しうる根拠があつたと認めるに足りる証拠はなく、ウの点についても、八雲商事の債権について原告が行つた調査の結果が、浅川裕公に対して十分説明されていなかつた可能性はあるが、前記認定のとおり、喜治らが和解契約の締結について原告に委任状を交付し右和解内容を一応承諾していると見るべきであることから、原告の浅川裕公に対する報告に不十分な点があつたとしても、そのことによつて、原告の受任者としての注意義務に違反したとまではいうことはできない。

(4) 以上検討したところによると、原告は、本件契約に基づく委任事務の処理につき、(1)ウで述べたとおり、和解契約の内容に反して債権者から喜治らに対する抵当権移転の付記登記を受けた点で受任者として注意義務に違反した点があつたと言わざるをえない。

2  本件契約が終了した後の事情

被告らは、原告が本件契約が終了した後、喜治らの債権者であり、紛争の相手方であつた八雲商事や武藤に協力する背信行為を行い、さらに、原告が受任者として注意義務に違反した委任事務処理を行つたことによつて、被告らが八雲商事及び武藤に和解金の支払を余儀なくされ、損害を被つたのであり、この点からも本件報酬請求は権利の濫用であると主張する。

この点について検討するに、<1>原告は、本件契約が終了した後、喜治らに無断で、原告が武藤から譲り受けた抵当権をいつたん原告が監査役を務める長良工業株式会社に譲渡し、さらに、この抵当権設定登記の登記名義を再び武藤に復帰させ、その後、武藤や八雲商事が本件不動産について競売の申立て(当庁昭和五四年ケ第八一〇号、当庁昭和五五年ケ第一九九号等)をした際、武藤や八雲商事のためにそれぞれ報告書を作成する等競売手続の進行に協力したこと(なお、原告は、右各事実を理由として、昭和六〇年一二月五日、所属する東京弁護士会から戒告処分を受けた(昭和五七年東懲第六号)。)、さらに、<2>本件契約終了後に八雲商事及び武藤から被告らに対して提起された貸金請求訴訟事件において、被告らは、八雲商事に三〇〇万円、武藤に九〇〇〇万円の和解金を支払つたこと(八雲商事につき昭和六三年ネ第六五三号、武藤につき昭和六〇年ネ第二六一八号)がそれぞれ認められる。

そして、右(1)の<1>の原告の行為は、被告らに対する背信行為というべきであるが、右<2>については、喜治らが和解金の支払を余儀なくされたことが原告の受任者として注意義務に違反した委任事務の処理に起因すると認めるに足りる証拠はない。

3  以上1、2で検討したとおり、本件報酬請求が権利の濫用であるという被告の主張を基礎付ける事実のうち、原告が債権者から本件不動産に設定された抵当権移転の付記登記を受けたことが、受任者としての注意義務に違反する委任事務の処理であつたこと及び原告が本件契約の終了後に喜治らの債権者でかつて紛争の相手方であつた者に協力したことは認められるが、原告が本件委任契約に基づいて処理した前記一の委任事務の内容全般に照らすと、これらの事実をもつて、原告の本件報酬請求が権利の濫用であるとは到底いうことができず、これらの事実は、本件においては、次項で検討する本件報酬の相当額を減額させる方向に働く事情の一つとして考慮すれば足りるというべきである。

六  争点6(本件報酬の相当額)について

1  三で検討したように、本件報酬については、当事者間に、和田病院の再建の見込みがついた場合には協議して決定する旨の合意があり、昭和五一年一二月ころまでに、和田病院の再建の見込みがついたが、右協議が成立しないまま本件契約が終了してしまつた。このような場合、原告の所属する東京弁護士会の弁護士報酬会規及びそれに従つて算定した弁護士報酬の金額を一つの参考資料として、その他原告が事務を処理した各訴訟事件、競売事件及び和解交渉等の性質や難易、原告の費やした時間や労力、依頼者の得た経済的利益等諸般の事情を斟酌し、当事者の合理的意思を推測して相当報酬額を算定するのが相当である。そこで、以下このような見地に立つて相当報酬額について検討する。

2  東京弁護士会の報酬会規は昭和五〇年七月一日に改正施行されている(以下改正後の会規を「新会規」という。)が、右施行の際、弁護士が現に処理中の事件については従前の例によるとされているところ、本件契約締結当時施行されていた東京弁護士会の弁護士報酬規定(昭和三九年一月一日施行、以下「旧会規」という。)によれば、弁護士報酬は、事件の依頼を受けた際の手数料(着手金)と依頼の目的を達した際の謝金とに分けられ、それぞれ事件の目的の価額または受ける利益の価額に一定の割合を乗じて算定することとされていた。なお、旧会規の標準報酬額算定の割合は以下の(1)及び(2)のとおりであつた。

(1) 民事事件

目的の価額又は受ける利益の価額 手数料及び謝金

一〇〇万円以下 各一割二分ないし三割(合わせて五割を超えてはならない。) 五〇〇万円以下 各八分ないし二割 一〇〇〇万円以下 各七分ないし一割五分 五〇〇〇万円以下 各六分ないし一割 五〇〇〇万円を超えるもの 各五分ないし八分

(2) 調停事件等

手数料及び謝金について、それぞれ1の二分の一

なお、本件契約の中心的な事務処理である訴訟外の和解交渉について、旧会規には直接弁護士報酬の算定方法を規定した条項はないが、新会規では、訴訟外の和解交渉事件の報酬は調停事件に準じるとされていることに鑑み、本件において相当報酬額の算定資料として旧会規に基づく報酬額を検討するに当たつても調停事件に準じるべきである。

そして、一で認定したとおり、本件において原告が処理した各委任事務の対象となる経済的利益及び喜治らが得た経済的利益は別表のとおりである。

3  原告は、本件契約に基づいて処理した各委任事務は、いずれも困難なものであつたとして、右報酬会規の上限まで請求できる旨主張するが、一で検討した本件契約に基づく委任事務処理の経緯、特に債権者、訴訟事件、保全事件及び競売事件の数、債権額、原告が債権者や金融機関との交渉に要した労力、期間等を考えても、原告が通常の債務の整理を行う場合と比較して特別に困難な事務処理を余儀なくされたという事情はうかがうことができない。

4  さらに、原告は、本件契約に基づいて処理した委任事務の中には、公認会計士としての事務、とりわけ和田病院の経営計画、経営指導、経営管理及び資金調達等いわゆる経営コンサルタント事務及び税理士としての事務が含まれており、そのうち、公認会計士として行つた事務については、弁護士として行つた法律事務に対する報酬とは別途に報酬を算定すべきであると主張する。

たしかに、一で検討した原告の委任事務の処理において、金融機関から資金を調達したり、資金繰りを計画したりすることは、銀行取引停止処分ないし競売手続の進行を回避するために不可欠の重要な事務処理であり、その際、原告の公認会計士としての専門知識が役立つたことはうかがえる。しかし、原告の右事務処理は、公認会計士法に基づく本来の監査業務ではないことは明らかであり、また弁護士としての法律事務として処理する法律事務に属するものではないから、その報酬について弁護士や公認会計士の報酬規定のような明確な決定基準を定めることは困難である。したがつて、この点については、相当報酬額を検討する際、弁護士報酬会規に従つた報酬額を資料として算出し、これを増額する事情の一つとして考慮すれば足りるというべきである。

なお、喜治は原告に対し、税理士業務に対する報酬として、昭和四九年九月から昭和五二年三月まで毎月五万五五五五円支払つていた(争いがない。)。

5  被告らは、本件報酬の一部支払として、<1>喜治らが、昭和四九年一二月から昭和五一年一一月までの間に、原告及びその家族の医療費二四万二六〇六円を立替払したこと、<2>浅川裕公が、五〇年三月二一日仲人の謝礼として受け取つた一〇万円を原告に渡したこと、<3>喜治らが、昭和五一年一〇月ないし一二月、李への中間金支払の際、原告に四四万円を支払つたこと、<4>喜治らが、昭和四九年一一月二〇日から昭和五一年一二月三一日まで、原告やその家族との飲食代合計一〇一万四一三〇円のうち、本来原告が負担すべき五〇万円の部分も支払つたこと、<5>喜治らが、原告が負担すべき車代六万円、投薬代三万四〇〇〇円を支払つたことを主張する。

しかし、<2>及び<3>の支払についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、<1>、<4>及び<5>については、仮にそのような支払いがあつたとしても、本件契約を通じた原告と喜治らとの関係に基づく社交儀礼の範囲に属するものであるから、いずれも本件報酬の相当額の検討について、斟酌すべき事情とは認められない。

6  右2ないし4の事情に、原告が本件契約を受任した経緯、前記一及び五で認定した原告の委任事務処理の状況、前記二で認定した本件契約の終了に至る経緯等の事情を総合勘案すれば、喜治が原告に対し、本件報酬に基づく報酬として支払うべき金額は、四五〇万円と認めるのが相当である。

七  そうすると、原告に対し、被告和田信裕は金一五〇万円、被告竹井治子及び同佐藤久栄は各金一一二万五〇〇〇円、被告浅川喜裕及び浅川裕三は各金三七万五〇〇〇円及び右各金員に対する履行期の経過した日である昭和五二年五月一九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による金員を支払う義務がある。

(裁判長裁判官 木村 要 裁判官 深山卓也 裁判官 齊藤啓昭)

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